平井亀戸錦糸町5

香取神社 スポーツの神です。

紙本淡彩道祖神祭図 歌川広重筆 一幅

道祖神祭図は、本紙を掛け軸に表装したものです。香取神社の道祖神祭りは、毎年正月14日、氏子の子供たちが宝船を担ぎ、亀戸から両国の辺りまでを練り歩いたもので、享保の頃から始まり、明治初期まで続きました。その光景は「江戸名所図会」の挿絵に載せられ、「東都歳時記」にも記載されています。本図は人物や宝船を墨で描き、朱、青で淡彩を施しています。作者は浮世絵師・歌川広重(1797-1858)で、嘉永5年(1852年)以降、広重の円熟期に描かれた作品と見られています。

亀戸大根の碑

この辺りで大根づくりが始まったのは、記録によると文久年間(1861-64)の頃とされ、当香取神社周辺が栽培の中心地で、以来、明治時代にかけて盛んに栽培されてきました。

当地は、荒川水系によってできた肥沃な粘土質土壌であったため、肉質が緻密で白く冴えた肌の大根づくりに大変適していました。亀戸大根は、根が30㎝程度の短い大根で、先がクサビ状にとがっているのが特徴です。

明治のころは「お亀大根」とか「おたふく大根」と言われましたが、大正初期になって産地の名を付けて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。

香取神社の創立は、天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。天慶の昔平将門が乱を起こした時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、めでたく乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。現在でもこの故事により勝矢祭が5月5日(武者行列)に執り行われます。

香取神社の植木市は、東京で最も古い歴史を持つ植木市として知られます。江戸時代後期、神社の境内で苗木を氏子に配っていたものが、明治時代になると植木市に発展し、今日に至ります。花見の時期と重なり、毎年多くの参拝客で賑わいます。