東武練馬江古田4

下練馬宿 しもねりまじゅく

下練馬宿は江戸側から下宿 ・中宿 ・上宿の3宿で構成され、本陣、脇本陣、問屋場がそろった宿場です。この街道を参勤交代で利用する大名は川越藩だけでしたが。 鷹狩りに行く大名や 大山詣 ・秩父巡礼の旅人などで結構賑わっていました。 残念ながら本陣・脇本陣の跡地はビルが建てられたりして往時を示す遺構や表示の類は何もありません。

徳川綱吉公が若かったころ、脚気症を患い、下練馬村に御殿(元北町)を建てて療養しました、尾張から大根の種子を取り寄せ、土地の百姓である金兵衛に字桜台(現北町4丁目)の地に栽培させ、長さ4尺(120㎝)ほどの大根が獲れ、それを食べて病が治ったそうです。

その後、将軍になっても献上させ、諸大名にふるまったことから、全国的に有名になりました。

旧川越街道の商店街の辺りは、江戸時代に下練馬宿がありました。川越街道は、江戸日本橋と川越の間およそ43㎞をつなぎ、板橋宿で中山道と別れました。下練馬宿に暮らす人で名字を名乗れる人は少なく、商家や職人などは家ごとに「屋号」を付けて呼び合っていました。

水戸街道、成田街道、日光街道、中山道、川越街道、下練馬街道があります。川越街道と大山堂は下練馬宿で分かれています。

東武練馬江古田3

下練馬宿は「川越道中の馬次にして、上板橋村へ二十六丁、下白子村へ一里十丁、道幅五間、南へ折るれば相州大山への往来なり」とあります。川越寄りを上宿、江戸寄りを下宿、真ん中を中宿と呼びました。

上宿の石間のところで徳丸から吹上観音堂への道が分かれています。

通行の大名は川越藩主のみで、泊まることはありませんが、本陣と脇本陣、馬継の問屋場などがありました。旅の商人や富士山大山詣、秩父巡礼のための木賃宿もありました。

浅間神社

御祭神 木之花開耶姫尊

下練馬の富士塚 高さ5m、経15m。

富士塚(ふじづか)は富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚です。江戸時代には一般的に「お富士さん」などと呼ばれ親しまれていました。

富士塚は、1780年(安永9年)に高田籐四郎(日行)が江戸の高田水稲荷の境内に建てたものが最古であるとされます。

一方で、当時の場所に現存する富士塚としては東京都渋谷区千駄ヶ谷の鳩森八幡神社境内にある千駄ヶ谷富士が都内最古のものとなっています。

当社は、徳川五代将軍綱吉の頃には時を揚げての祭典もあり、また古くこの地は宿場町として大変な賑わいを見たところで、爾来富士浅間神社の霊山として熱く崇敬され今日に及んでいる。