駒沢オリンピック公園2

駒留八幡神社

八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされています。

現在の神道では、八幡神は応神天皇(誉田別命)の神霊で、欽明天皇32年(571年)に初めて宇佐の地に示顕したと伝わっています。応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀ります。

幡神を応神天皇とした記述は『古事記』・『日本書紀』・『続日本紀』にはみられず、八幡神の由来は応神天皇とは無関係でした。

「八幡」の文字が初めて出てくるのは『続日本紀』であ、その記述は天平9年(737年)の部分にみられる。読み方は天平勝宝元年(749年)の部分にある宣命の「広幡乃八幡(ヤハタ)大神」のように「ヤハタ」と読み、『日本霊異記』の「矢幡(ヤハタ)神」や『源氏物語』第22帖玉鬘の「ヤハタの宮」のように「八幡」は訓読であったが、のちに[いつ?]神仏習合して仏者の読み「ハチマン」、音読に転化したと考えられます。

「幡(はた)」とは「神」の寄りつく「依り代(よりしろ)」としての「旗(はた)」を意味する言葉とみられます。八幡(やはた)は八つ(「数多く」を意味する)の旗を意味し、神功皇后は三韓征伐(新羅出征)の往復路で対馬に寄った際には祭壇に八つの旗を祀り、また応神天皇が降誕した際に家屋の上に八つの旗がひらめいたとされます。

祭神は天照大神、応神天皇。北条左近太郎入道成瀬は、当時この地の領主で、あつく八幡大神を崇敬し、徳治3年(1308)社殿を造営し、経筒を納め駒込八幡と崇め奉った。

その後世田谷城主吉良頼康は、園子の追福のため、八幡宮に一社相殿として祀り若宮八幡と称しました。また、その母常盤を弁財天として祀ったのが、厳島神社です。

神楽殿です。

駒沢オリンピック公園1

北沢川文学の小路

北沢川緑道の環七宮前橋から、淡島通り大石橋までの約一キロ区間。

東京世田谷下北沢地域一帯には多くの文学者が居住していました。

坂口安吾、萩原朔太郎・萩原葉子の文学碑があります。

北沢川緑道は、上流は赤堤から下流の代田・代沢・池尻までの延長約4.3キロで、かん木や雑木類が植えられ、四季折々の花が咲く緑の遊歩道となっています。

せせらぎの水源は、東京都下水道局落合水再生センター(下水処理場)で、水質を向上させて処理した再生水(高度処理水)を利用しています。

萩原朔太郎・葉子と大他の岡の61号鉄塔

ここ鶴ヶ丘橋袂から眺められる丘状の鉄塔には歴史があります。昭和元年(1926)に建ったもので。当時緑豊かなこの地に堂々と聳え立つ銀色の塔は都市近郊を象徴する景観でした。

この塔のすぐ下に昭和8年、自らの設計による家を建て、居住したのが萩原朔太郎でした。鋭く尖った三角屋根の家は、鉄塔を意識して設計されたものでしょう。

詩人は、故郷前橋で電線の青い閃光を眺めては東京都恋い慕いました。「定本青猫」の「自序」にはこうあります。

都会の空に映る電線の青白いスパークを、大きな青猫のイメーヂに見ている

萩原朔太郎

かつては当地の高圧線の碍子も青くほのめいていたといいます。