東武練馬江古田6

江古田の浅間神社

浅間神社(あさまじんじゃ、せんげんじんじゃ)は、「浅間」を社名とする神社。主に富士山に対する信仰(富士信仰/浅間信仰)の神社です。

富士信仰に基づいて富士山を神格化した浅間大神(浅間神)、または浅間神を記紀神話に現れる木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやびめのみこと)と見てこれを祀る神社です。

富士山は古くは「福慈神」・「不尽神」と記載されるような霊妙な神山・日本鎮護の神山でした。しかし奈良時代末から火山活動が活発化し、火山神(浅間神)としての信仰(浅間信仰)として全国に広がりました。

「浅間(あさま)」の語源については諸説あるが、長野県の浅間山のように火山を意味するとされます。「あさま」は古称で、もう1つの称「せんげん」は中世以降から用いられたとされます。

江古田の富士塚

社伝の後ろに築かれている塚は、富士山を模して築いた富士塚です。富士山を信仰する集団である富士講の一派、小竹丸祓講によって江戸時代に築造されたと考えられています。塚に登拝することによって、実際の富士詣りと同じ霊験が得られるとされました。

南斜面には富士の溶岩を配した登山道が造られ、合目石や経ヶ嶽、小御嶽神社、天狗像などの石造物が立っています。頂上には天保十年(1839)銘の石祠があります。

高さ約8メートル、経約30メートルあり、徳内の富士塚の中では大規模なもので、庶民信仰の様相を示す。

東武練馬江古田5

練馬区立北町小学校の一角には、徳川綱吉が鷹狩に訪れ、鷹狩御殿を立てたと言われています。

徳川綱吉御殿後の碑

この付近一帯はかつて「御殿」と呼ばれた土地であった。後に江戸幕府第5代将軍となる徳川綱吉が寛文年間(17世紀後半)にこの地を鷹場とし、宿泊所として「鷹場御殿」を立てたことに由来する。

江古田駅

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江古田の庚申塚

平安時代の初めに、人間の豊かで長生きをしたい、その気持ちが庚申信仰になった。

人間の体の中の三尸(さんし)の虫が、庚申の夜、寝ている間に天に昇り、天帝に告げ口をして寿命を奪われないようにするために、庚申に日に、みんなで夜通し楽しく過ごして、三尸の虫に焦点の機会を与えないようにする。子の庚申塚は1765年の明和2年10月18日に建立されました。

現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰です。

庚申(かのえさる、こうしん)とは、干支(かんし、えと)、すなわち十干・十二支の60通りある組み合わせのうちの一つです。庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされました。