板橋下頭橋3

長命寺

東光山医王院長命寺

真言宗豊山派

本尊 薬師如来立像

川越街道と環状7号の交差するところにあります。

『新編武蔵風土記稿』に「開山、長栄、寛文10年(1670)11月24日寂す」とあり、伝存する過去帳も承応元年(1652)から書き始められていることから、当時は江戸時代の前期には既に創建されていたと考えられます。江戸時代には、天祖神社や氷川神社をはじめ付近の神社の別当(管理者)でもありました。

明治時代には、豊島八十八霊場の二十一番札所にもなり、また、いたばし七福神の一つ、福禄寿も祀られています。

当時周辺は、室町時代「お東山」にあったと言われる板橋城跡の伝承地の一つでもあります。

真言の教えは仏教の神髄を説く密教としてインドに起こり、中国を経て平安時代に弘法大師によって日本に伝えらえ真言宗として成立しました

「真言」とは、仏様の境地やお徳を表した真実の言葉です。宇宙の根本となる大日如来の真言として示される教えを私たちが信仰し体得することによって、この身がそのまま仏様になれることを示したのが真言宗の教えです。さらに曼陀羅の思想は大日如来の智慧と真理を展開した教えで、これによってすべての世界は大日如来の総徳に包括されるのです。

板橋下頭橋2

川越街道と環七の交差する場所の近くを散策しました。

川越街道(かわごえかいどう)とは江戸時代の街道で、江戸日本橋より中山道を進み、江戸四宿の1つ板橋宿の平尾追分で分岐して川越城下に至る街道で伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」では実測、10里34町33間半(約43km)でした。

お福地蔵

徳川家康の乗馬の轡(くつわ)または馬蹄を祀ったと言われる轡神社です。

縁起

今より150年前、文化文政の頃に鎌倉街道にいずれからか「おふくさん」という行者が来て、街道筋の人々の難病苦行を癒し、大山宿の住民からとても慕われました。

ついに大山に住み、余生を衆生に尽くしましたので、後に地元大山の人々により「お福地蔵」として祀られ、現在に至っています。

轡神社

御祭神 倭建命(やまとたけるのみこと)

社前の道路は、俗に鎌倉街道と言われた古道で、この道が石神井川を渡るところが本来の「板橋」という説もあります。

昔は轡権現社と呼ばれていました。名称の由来については、この地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからともいわれています。江戸時代から「百日咳」に霊験がある神として広く信仰を集め、遠方から参拝に来る信者で賑わったと言います。信者は病気の治癒を祈るとともに、当社に奉納されている馬わらじの片方と麻を頂いて帰、り全快すると新しい馬わらじと麻を当社に奉納しました。