文京区白山3

文京区には旧町名案内があります。

旧白山前町

古くは小石川村に属した。元禄12年(1699)に町屋を開きました。白山権現社(白山神社)の境内の前通りあったので名付けられました。

 

明治2年、白山表門前、白山社裏門前、小石川数寄屋町、妙清寺・常検寺及び浄心寺門前を合わせました。さらに、明治5年には上駒込村飛地、鶏声ヶ窪を併せました。

白山神社は、初め、天暦2年(948)加賀の国の一の宮白山神社を、旧本郷元帳に祭ったのに始まります。のち現在の小石川植物園の地に移りましたが、明暦元年(1655)に白山御殿の造営のため、現在地に移りました。それで5代将軍綱吉とその生母桂昌院の信仰を受け大いに栄えました。

白山神社の門前町として、この町は発展しました。

白山神社

孫文先生座石

石碑の下に置かれた黒っぽい横長の石が孫文の座った石です。

明治43年(1910年)5月中旬、孫文は白山神社近くの小石川原町にあった滔天宅に身を寄せており、2人はこの石に腰掛け、中国の将来や革命について語り合った。しかも、その時、夜空に光芒を放つ一条の流星が現れ、孫文は祖国の革命を心に誓ったという。

この流星とは、時期からみて、明治43年のハレー彗星とみられ、東京では同月19日、降り続いた雨があがった東の空に現れた。彗星の尾は長く、夜空いっぱいに輝き、10日ほどで姿を消した。ただ、この孫文の話には異説もあって、孫文と共に流星を見たのは滔天本人ではなく、長男の龍介さんだったという。