JR総武線平井駅北口の駅前広場東側から蔵前通りを横切って進むと、燈明時(新義真言宗)がある。
ドローン飛行禁止、の張り紙があります。
別堂の聖天堂が平井聖天で、浅草待乳山聖天と埼玉妻沼聖天とともに、関東三聖天と言われます。明雅山明王院と号します。草創は平安時代と伝えられますが、江戸時代中期には荒廃し、享保年間(1716から35)に京都から赴任した恵祐法印によって再興されました。歴代将軍が鷹狩りの時に御膳所に使用したほか「江戸名所図会」にも描かれ、文人墨客も多く参詣しています。
撮影日は2019年3月21日で、この日は東京の桜の開花日でした。
その後、安政の地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923年)では本堂全壊という惨禍にあいましたが、当時の関澄道貫主(26世)によって京都宇治平等院風の三屋根造りの優雅な本堂が建立されました。澄道貫主は文人としても知られ、正岡子規や伊藤左千夫らと親交が深く、境内の茶室「夢想庵」は左千夫の設計によるものです。
隣接の諏訪神社は、享保年間(1716~36)に燈明時の恵祐法印が、生国の信州諏訪大明神を祀ったのが起源です。境内の左隅に富士塚が、神社西横の路傍に浅草道石造道標があります。
平井諏訪神社の御祭神は、大国主神の御子建御名方神が奉斎されています。
諏訪神社旧本殿は、昭和44年に現在地に移されて稲荷神社となりました。