大村益次郎の銅像
1893年の建立で、その姿は彰義隊討伐のため政府軍を指揮する様子を表しているという。大村は維新後、兵部大輔として徴兵による近代的軍政の整備につとめました。
靖国神社の鳥居です。大鳥居は、もっと手前にあります。
遊就館
遊就館は、靖国神社に鎮まる英霊の遺書、遺品などの貴重な史資料を展示しています。
トラトラトラの電文
昭和16年12月8日、我が国はアメリカ太平洋艦隊を真珠湾に急襲しました。この電文は第一次攻撃隊長が真珠湾奇襲作戦の成功を報告したものです。
山本五十六連合艦隊司令長官は、昭和18年4月3日将旗をラバウルに、進め作戦の指揮に当たりました。同月18日、ブーゲンビル島の基地に赴く途中に敵機の攻撃を受け壮烈なる戦死をしました。
硫黄島作戦で戦車第26聯隊を率いた大佐は、昭和7年に開かれたロサンゼルスオリンピック馬術大障害飛越競技において金メダルを獲得し、「バロン西」として世界中に知られました。
金城姉妹を含む沖縄の女子学徒隊は野戦病院に配属され、不眠不休で傷病兵の看護にあたりました。米軍による強烈な掃討作戦の中、6月18日、学徒隊解散の命令が出されましたが、第三外科豪は米軍に包囲され、職員生徒40余名が最後を遂げました。
零式艦上戦闘機
支那事変から大東亜戦争を通じて使用された海軍の主力戦闘機です。制式採用された年が皇紀2600年(昭和15年)のため、「零式」と名付けられました。俊敏さや航続距離の長さなど、性能の高い戦闘機でした。
ロケット特攻機「桜花」はおよそ1.2トンの火薬を搭載し、母機の一色陸上攻撃機に懸吊され、上空より敵艦めがけて体当たり攻撃を行う特攻機です。感情爆撃機「彗星」も終戦間際には特攻機として飛び立ちました。
人間魚雷「回転」
乗員が操縦して敵艦に体当たり攻撃する特攻平気です。黒木大尉・仁科中尉らが着想、血書による懇願の後、制式兵器として採用され、100余名の若者が身を挺して散っていきました。
元帥刀
明治31年に「元帥府条例」が制定されてから昭和20年まで、我が国には陸軍、海軍の大将の内30人に元帥の称号が授けられました。この元帥刀は、歴代の天皇が元帥に対して下賜されたもので、遠く平安の御代における「衛府の太刀」を模したものとされています。
錦の御旗
展示されている旗は、戊辰戦争で官軍の象徴として使用されたものです。錦の御旗は鎌倉時代以降、朝敵討伐の標として用いられ、日章を錦糸で縫取りした赤地錦の旗です。