将門塚から内堀通りに出て北に進むと、濠端にw家の清麻呂像があります。この写真の中央にありますが、現在修復中です。和気清麻呂は、宇佐八幡宮の信託と偽って皇位につこうとした道教の野望を打ち砕いた忠臣とされています。皇居外苑の武臣楠木正成に対し、1940年(昭和15年)、文臣の象徴として「皇紀2600年」記念に、陸軍大将林銑十郎らによって建立されました。
竹橋の方に歩いていくと、夕方、仕事を終えて帰宅する人と、皇居の周りをランニングする人が行き交います。ランナーは、皆反時計回りに走ります。
平川門と平川橋です。4月3日に撮影したので、桜が満開です。
徳川家康が江戸に入る前、この付近は上平川村、下平川村などの集落があり、平川という河川に粗末な門がある程度でした。初代の橋が架けられたのは1614年(慶長19年)。1635年(寛永12年)、枡形櫓門と番所が構築された。この櫓門と高麗門、平川橋を含めた一式を平川門といい、竹橋から侵入する敵を撃退する目的がありました。平川門は、当時は江戸城三の丸の正門で、徳川御三卿の田安・一橋・清水の各徳川家の登城口でした。奥女中の通用門として「お局御門」、死者や罪人をここから運び出したことから「不浄門」の異名を持ちます。
三の丸尚蔵館(さんのまるしょうぞうかん)とは、皇居東御苑内にある博物館施設。昭和天皇の死後の1989年(平成元年)6月に昭和天皇の遺族から寄贈され国庫に帰属した美術品を保存、研究、公開するための施設として、1992年(平成4年)9月に皇居東御苑内に建設され、1993年(平成5年)11月3日に開館しました。