板橋宿1

環七通りを東武電車がわたっているところです。

板橋区南常盤台1丁目。

真言律宗 日曜寺

下手もいなけりゃ上手はおらぬ 力いっぱいやればよい

囲碁・将棋の心構えです。

教補器(1716~36)の頃、8代将軍吉宗の3年田安宗武が厚く信仰し、仏像・経典・仏画その他多くを寄進しました。山門にかかる日曜寺の扁額は田安宗武の3男松平定信の書です。

墓地分譲中です。

智清寺

御本尊は阿弥陀如来。浄土宗、龍光山恵照院。

室町時代初期、見誉上人智清によって創建されたと伝えられています。天正19年(1591)徳川家康より寺領五石を寄進された御朱印寺です。

境内には、板橋上宿の名主板橋市左衛門家歴代の墓碑や、明治初年前田家下屋敷払い下げに活躍した小松了従の墓碑、明治の歌人相沢朮(おけら)の墓碑などがあります。

雪廼舎相沢朮(ゆきのやあいざわ おけら)の墓

文政8(1825)年越後国(現新潟県)六日町の医者石川有節の長男として生まれました。幼名は富蔵、諱は高尚、後に玄英、周硯と改める。医術を江戸の大久保東渓や成田宗信に、蘭学を大阪の六人部右衛門に学ぶ。

朮は文学を好み、漢学を江戸の前田観海、桑名の森樅堂に、和歌を井上文雄、加藤千浪、佐々木弘綱に学ぶ。明治9年東京に移り、医を開業する傍ら和歌を楽しむ。

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