大圓寺は、寛永年間(1624~44)の初め、出羽湯殿山の修験僧大海法印が、大日如来を祀って道場を開いたのが始まりです。1772(明和9)年、寺僧の放火により本堂から出火、江戸市中628町を延焼しました。これが行人坂火事で、振袖火事、車町火事と並び、江戸三大火事と言われます。そのため、大圓寺はその後76年間も再建を許されず、幕末になって薩摩藩島津氏の菩提寺として再興されました。
松林山 大圓寺は山手七福神、大黒天を祀っています。
大日金輪を祀って、祈りの道場を開いたのが始まりで、「生身の釈迦如来」と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」、木造「十一面観音立像」、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天像」などが安置されています。
明和9年の出火による多くの死者の供養のために作られた「釈迦三尊・十六大弟子」、「五百羅漢の像」等の「大圓寺石仏群」が建てられています。また阿弥陀堂には「木造阿弥陀三尊像」や八百屋お七の火事にまつわる西運上人の木造、お七地蔵などが祀られています。
境内には「行人坂閾値石造道供養碑」、「目黒川架橋供養勢至菩薩像」、西運の墓などがあります。江戸の面影を残している行人坂の景観や老樹古木の茂る境内です。