伏見山 成勝寺
鎌倉時代、1219年(承久元年)に焼失し、その後、白河の地から伏見へ移ったと考えられます。
南北朝室町時代、応仁の乱等で、他の六勝寺は廃寺となります。
平安時代後期、京都の東郊白河の地に、天皇の御願寺としての寺院が六か寺有り、いずれも寺号に「勝」の字がついたことから「六勝寺」と呼ばれました。成勝寺は、その六勝寺の一つで、1139年(保延5)崇徳天皇の御願寺として創建、真言宗寺院として仁和寺、覚法法印により落慶供養が行われました。
本願寺八世の蓮如上人の頃(1460年代)、浄土真宗に改宗します。江戸時代、1657年江戸大火(振袖火事)で海辺御坊(現・本願寺東京別院)と共に日本橋浜町から、築地へと移り中核寺院として活躍。関東大震災後、1928(昭和3年)世田谷現在地に移りました。
西福寺
真言宗光林山持明院
本堂
阿弥陀一尊画像板碑
木造薬師如来立像
当寺本尊。昭和56年に行われた解体修理により、ほぼ造立当初の姿に復されました。
「新編武蔵風土記稿」などの資料によれば、本尊はもと当寺にあった薬師堂の本尊として祀られていましたが、共和年間(1801から03)の本堂罹災時に旧本尊の不動明王が焼失したため薬師堂に合った本像を本堂に移し、以降当寺本尊にしたと言います