中目黒1

今回は中目黒界隈の散策です。

山手通りから旧山手通りに上がる途中の日比谷線です。

2000年(平成12年)3月8日、帝都高速度交通営団(現東京メトロ)が運営する営団地下鉄日比谷線において目黒駅構内列車脱線衝突事故が発生しました。死者5名でした。

猿楽塚(さるがくづか)

ここにあるこんもりした築山は、6~7世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した古代の噴墓の一種です。

ここにはその円墳が二基あって、その二つの内、高さ5メートルほどの大型の方を、昔から猿楽塚と呼んできました。

この塚があることから、この辺りを猿楽といい、現在ある町名の起源となっています。ここにある二基の古墳の間を初期の鎌倉道が十ていて目黒川に下っていました。

猿楽神社

猿楽の名称は、江戸時代の文献「江戸砂子」「江戸名所図会」等にも見られ、我苦を去るという意味から、別名を去我苦塚と称したともいわれています。6~7世紀の古墳時代末期の円墳と推定され、渋谷区内に唯一現存する高塚古墳です。

この地に移住する朝倉家は戦国時代からの旧家で、遠祖は甲州の武田家に臣属し、後に武蔵に移り、中代より渋谷に住み、代々、無比の敬神家として、渋谷金王八幡宮と氷川神社の両鎮守への参拝を常として、また氷川神社改建の折にも尽力しています。

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