中目黒2

ヒルサイドテラスのクリスマス・カンパニー。

30年前に、この近所に住んでいた時からあります。

旧朝倉家住宅は、猿楽町の南西斜面を利用して東京府議会議長を務めた朝倉虎治郎によって、大正8年(1919)に建てられました。

宅地北側に母屋が立ち、西に土蔵、東に庭門や附属屋(車庫)があります。

このうち、母屋、土蔵及び宅地が重要文化財です。

地蔵・道標

地蔵尊が現世と来世の間に出現して死者の霊を救済するという信仰は、民衆の間に広く信じられてきました。小児の霊の冥福を祈る意味でも地蔵尊が造立されました。道の辻などに建てられた場合には、道路の安全を祈ることの他に、道標になることもあります。

この地蔵尊は、文西元年(1818)の造立で、その台座正面には「右大山道、南無阿弥陀仏、左祐天寺道」と刻んであります。地蔵堂背後の坂道は、目切坂又は暗やみ坂といい、この坂を下って目黒川を渡った後、南へ進むと祐天寺方面に達し、北へ進むと大山道(国道246号線)に達します。また、堂前を東へ進むと並木橋に達します。

江戸時代には、人家もまばらな、寂しい道で、旅人はこの道標を見て安心したことでしょう。

明治時代になっても、猿楽町には4ヘクタール以上の養豚場があったように、農業が行われていたのです。

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