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祐天寺(浄土宗)境内いいいい委員は、将軍綱吉息女竹姫騎士んの仁王門および阿弥陀堂や稲荷堂、将軍家宣夫人天英院寄進の梵鐘と鐘楼、地蔵堂など江戸時代の遺構を伝える建造物のほか、江戸消防ゆかりのもの、重ね供養塚などがあります。

墓地には「祐天上人の墓」屋柳原愛子の墓などの名墓および「白子組並びに灘目の海難供養碑」などがあります。

本寺所蔵の「般若心経」1巻、「紺紙金字法華経第三」1巻の2点は類例の少ない逸品です。

祐天上人墓

祐天上人は江戸時代中期に活躍した浄土宗の高僧です。陸奥の国岩城郡(福島県)四倉村に生まれ、伯父の芝増上寺内池徳院休波を訪ねて江戸に上がります。その後檀通を師として修学し、諸国修行の旅に出ました。

牛島で念仏生活を続けていたところ桂昌院の帰依を得て、将軍綱吉との関係も深まります。元禄12年(1699)に下総国生実大厳寺の住持となり、宝永元年(1704)には伝通院住持となりました。たびたび江戸城に召され、とりわけ多くの人々が深く帰依しました。正徳元年(1711)将軍家宣より芝増上寺住持を命じられ、三十六世となり大僧正に任ぜられました。多数の寺院の復興などを行い、多くの人の帰依を得ました。正徳4年隠居し享保3年入寂しました。

祐天寺は、祐天上人の遺言により高弟祐海が念仏道場を建立したことに始まります。融点を開山とし、祐海は2世となりました。

 

 

 

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