石神井公園7

三宝寺

三宝寺は、江戸時代には山号を亀頂山といい、不動明王を本尊とする真言宗智山派の寺です。室町時代の応永元年(1394)、権大僧都幸尊が開山したと伝えられています。文明9年(1477)石神井城落城の後、石神井池南方台地上の現在の野球場周辺から現在地に移ったと言われています。

戦後時代には小田原北条氏、江戸時代には徳川氏から保護を受け、近くに数十の末寺をもち、府内八十八ケ所巡りの第16番札所となっていました。二度の火災で、焼失したものもありますが、優れた仏像や絵画などを、今でも数多く所蔵しています。

また、山門は、三代将軍徳川家光が狩りをしたとき、ここを休憩所としたことから「御成門」と呼ばれるようになったと伝わります。山門東側の長屋門は、勝海舟邸の屋敷の紋を移したものと言われています。

三宝寺山門

重厚な造りの四脚門で、主柱や控柱は上下を細め、肩を丸めた粽(ちまき)付き円柱。頭貫の獅子、像や獏(ばく)の彫刻などに、江戸時代後期の特徴が示されています。

御成門

寛永2年(1625)及び正保元年(1644)に、徳川家光が狩猟の際、当山が休憩所とされたので、この山門を御成門と称するようになりました。江戸時代には、平常は門扉を閉ざして庶民の通行を禁じていたと言われています。

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