西中山 妙福寺
当山は、元慈覚大師(円仁)を開基とする天台宗の寺で、慈東山大覚寺と称し、その開創は嘉祥3年(850)と伝えられています。鴨倉時代に中山法華経寺歴代の日高・日祐上人の巡錫に会い、殊に元亨2年(1322)日祐上人により、法種山妙福寺として日蓮宗に改宗、今日に至りました(「西中山妙福寺文書」昭和58年刊行)。
天正年間(1573~92)より寺領二十一石五斗を与えられ、三代将軍徳川家光から14代家茂に至る9通りの朱印状(写し)も所蔵されています。
日蓮聖人
この地で日蓮宗の中心となり、「西の中山」と称され、現在の山号も「西中山」となっています。
諏訪神社
創建は明かではありませんが、江戸時代の「新編 武蔵風土記稿」には、小博村(こぐれむら)の鎮守・三十番神と記されています。もと本照寺の北側に祀られておりましたが、明治時代の末頃に現在の地に移り奉祭されました。
夏の終わりのアブラゼミです。
三十番神とは、天照大御神様をはじめとする三十神の神様が一ヶ月(三十日)を日替わりにて御神威を発揚され、国土と自然をお守りするという古来からの信仰であります。そのため本殿には今も三十神の御神像が安置されています。
その後、明治の神仏分離の際に仏教色が強かった三十番神の社号が廃される事となり、三十神の番神の中でも特に縁の深かった建御名方命を信州諏訪神社より勧請申し上げ、社名も現在の諏訪神社と改められました。古い土地の人々は、今も「番神様」と呼び親しんでいます。