与論島
1898年(明治31年)夏、空前の暴風雨が島を襲い、干魃、疫病や飢饉など危機的状況に陥った
やむなく1200人程の島民が九州に集団移住する事になった。
与論島の経済は農業と観光業に大きく依存しており、3次産業の割合が高く、特に政府サービス生産(公務)が23.7%と高い
平成17年の国勢調査では、産業別総人口 2,990 人のうち漁業就業者は62人で全体の 2.1%に過ぎず、1次産業は農業が中心で、サトウキビ、畜産(牛)が多く、温暖な気候を活かしたサトイモ、インゲン、花卉類の栽培が近年盛んになっている
水産業の総生産額は101百万円で、島の総生産に占める割合は 0.7%に過ぎない
魚価は2001年にかけて年々下落の一途をたどってきたが、2001年以降はほぼ低位安定の状態が続いている
人口が5,500人ほどに過ぎないため、水揚げされた水産物の約2/3はフェリーで島外(鹿児島市中央卸売市場と沖縄県及び奄美大島の一部)に出荷されている
このため、水揚金額に対する流通コストの占める割合は23%に及び、1日1便であるため鮮度も低くなり、漁業者には不利になっている