トプカプ宮殿
17世紀中頃に大宰相の執務所と書記官僚の文書行政機構が大宰相公邸である大宰相府(バーブ・アーリー)に移ると、宮殿はオスマン帝国の最高政務機関としての実質を失った。
その後も、トプカプ宮殿は依然として皇宮であり、帝国の儀礼と公式行事の中枢であったが、1853年に宮廷が西洋風のドルマバフチェ宮殿に移ってからは放置され、荒廃した。
オスマン帝国は第一次世界大戦で敗れて滅亡。戦後の1924年、トルコ共和国はトプカプ宮殿を博物館とし、修復して一般の人々の見学に開放した。
現在はトルコでも人気が高い観光地の一つであり、入場は有料である。2023年9月時点、トルコ人向けは150リラ(全国の史跡・博物館を巡れる1年間のパスは60リラ)。外国人は950リラ(ハレムを除外する場合は750リラ)
トプカプ宮殿は、大きな建物を持たず比較的小さな建物と部屋が連なり、また数多くの庭園と離れ(キョシュク。キオスクの語源)を持つ建造物群である。このことから、トルコ人の中央アジアの遊牧民的な伝統に基づいた宮殿である、と説明されることもある
<トイレ>
宮殿のある丘は、古代ビュザンティオンのアクロポリスのあった場所にあたる。
宮殿の外壁はこの丘を大きく囲み、外壁内の総面積は約70万m2ほどの面積である。
宮殿の正門は、アヤソフィアの側にある「帝王の門」(バーブ・ヒュマーユーン)である。
「帝王の門」をくぐると、「第一の中庭」と呼ばれる空間があり、オスマン帝国時代も現代も一般の人々が自由に出入りできる。