大手町―将門塚4

太田道灌公追慕の碑

2007年(平成19年)は,太田道灌(おおた どうかん)が江戸,今の皇居の辺りに江戸城を築城してから,550年目に当たります。

道灌は、室町時代後期の武将で武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰です。摂津源氏の流れを汲み、諱は資長(すけなが)で、太田資清(道真)の子です。家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍しました。江戸城を築城したことで有名です。武将としても学者としても一流という定評がありましたが、謀殺されてこの世を去った悲劇の武将としても名高い。

一橋徳川家屋敷跡

一橋徳川家は、寛保元年(1741年)徳川八代将軍書士胸の第4子宗尹が江戸城一橋門内に屋敷を与えられたことが始まりである。一橋家、田安家、清水家は御三卿と呼ばれ、御三卿は将軍家に世継ぎが無く、御三家(尾張、紀伊・水戸)にも将軍となりうる該当者がいない場合に将軍を送り込める家柄で、十万石の格式を持ち、直属の家臣団を持たず、将軍家の身内として待遇された。

唐家は二世治済の長男家斉が十一代将軍となり、水戸家より入った一橋九世が徳川最後の十五代将軍徳川慶喜であり、御三卿の中でも幕政に深くかかわった。敷地は広大で、この一角の他気象庁、大手町合同庁舎付近まで及んでいた。

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