銅造地蔵菩薩坐像
江戸六地蔵の第1番です。孵化側の地蔵坊正元が勧進(寄付集め)し、1708(宝永5)年鋳物師太田駿河守正儀が鋳造しました。
江戸六地蔵の由来は、その一つ太宗寺の像内にあった「江戸六地蔵建立の略縁起」によれば、江戸深川の地蔵坊正元が藤野病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に倣って、宝永3年(1706)造立の願いを発し、人々の浄財を集め、江戸市中6か所に地蔵菩薩をそれぞれ一躯ずつ造立したと伝えられています。各象の全身及び蓮台には、勧進者、その造立年代などが陰刻されていて、神田鍋町鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことが分かります。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第6番)は、廃仏毀釈で取り壊され、五躯が残っています。
六地蔵のうち、海照山品川寺の地蔵は一番古く、宝永5年(1708)年に造立されたものです。像高は、現存するものの中で一番大きく275㎝あり、かつては鍍金(ときん:メッキ)が施されていました。
品川寺のイチョウ 品川区指定天然記念物です。
幹周り5.35メートル、樹高25m、推定樹齢約600年という古木です。