目黒不動尊4

この細長い石、は目黒川の太鼓橋に使用された石材です。八百屋お七の恋人吉三はその後、名を西運と改め、お七の菩提を弔うため江戸市民から寄進された浄財を元に行人坂の石畳、太鼓橋を石の橋にしました。

大圓寺石仏群

仏像の後ろにある背景のようなものは石仏群です。明和9年(1772)、江戸市中を約大火があり、火元と見られたのが大圓寺でした。この火事は「行人坂の火事」と呼ばれ、明暦3年(1657)の振袖火事、文化3年(1806)の車町の火事と並び、江戸三大火事の一つに教えられています。「新編武蔵風土記稿」には、大圓寺境内の五百羅漢は行人坂の火事で亡くなった人々を供養するために建立されたときされています。

大圓寺境内の北島川斜面に五百二十軀の石仏群が安置されています。左右に分取簿作・普賢菩薩を配した釈迦三尊像を十大弟子と十六羅漢が過去三、背後に591基の羅漢増が並びます。造立年代は、五百羅漢の中に宝暦13年(1763)の刻銘もありますが、多くは釈迦由来の刻銘店名元年(1781)以降の像立と思われます。嘉永元年(1848)に大圓寺が再興されたとき、これらの石仏もここに安置されたと考えられます。

像高は、釈迦三尊像が147~155cm、十大弟子像が55~126cm、十六羅漢が95cm、五百羅漢像が37cm前後です。

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