川越街道と環七の交差する場所の近くを散策しました。
川越街道(かわごえかいどう)とは江戸時代の街道で、江戸日本橋より中山道を進み、江戸四宿の1つ板橋宿の平尾追分で分岐して川越城下に至る街道で伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」では実測、10里34町33間半(約43km)でした。
お福地蔵
徳川家康の乗馬の轡(くつわ)または馬蹄を祀ったと言われる轡神社です。
縁起
今より150年前、文化文政の頃に鎌倉街道にいずれからか「おふくさん」という行者が来て、街道筋の人々の難病苦行を癒し、大山宿の住民からとても慕われました。
ついに大山に住み、余生を衆生に尽くしましたので、後に地元大山の人々により「お福地蔵」として祀られ、現在に至っています。
轡神社
御祭神 倭建命(やまとたけるのみこと)
社前の道路は、俗に鎌倉街道と言われた古道で、この道が石神井川を渡るところが本来の「板橋」という説もあります。
昔は轡権現社と呼ばれていました。名称の由来については、この地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからともいわれています。江戸時代から「百日咳」に霊験がある神として広く信仰を集め、遠方から参拝に来る信者で賑わったと言います。信者は病気の治癒を祈るとともに、当社に奉納されている馬わらじの片方と麻を頂いて帰、り全快すると新しい馬わらじと麻を当社に奉納しました。