青木義比歌碑
夏月涼 かくはかり すゝしきよはの 月かけを
しはしさゝへよ にはのまつかえ (鶴山)
山家夏 世のうさの みちもはなれて やまさとの
なつのゆふへは すゝしかりけり(義比)
江戸末期の旗本青木寅之助義比と、その父鶴山の歌を、一首ずつ刻んであります。義比が文久2年(1962)に没した翌年に、家臣らによって、義比が好んで逍遥したこの地に建立されました。背面には、歌碑建立の経緯を記した今治藩医半井梧菴の分が刻まれています。
馬術部
厩舎は、明治41年(1908)の開校当初は、目白通りをはさんだ正面の向かい側(現目白小学校校地)にありました。
目白通り拡張に伴い、昭和2年(1927)、倉庫(馬具置き場)とともに現在の場所へ移されました。通路をはさんで左右両側に馬房を設けている大型の厩舎は珍しく、かつては20頭の馬房に分けられていました。厩舎の西側には、渡廊下で結ばれた蔵庫(旧馬具)置場があり、厩舎と一緒に移築されました。
厩舎
建物の特徴
木造平屋建て、スレート葺、寄棟造。久留正道設計、明治41年(1908)竣工。出入口が四方に設けられ、屋根の中央には、空気抜けが儲けられています。中央の通路をはさんで、左右に馬房が並ぶ構成は、軍隊の形式を継承したとも言われます。旧制学習院では、武課の授業の一環として馬術が行われていて、学生数に応じた馬が必要でした。