池袋水天宮
御祭神
天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
安徳天皇 第81代
建礼門院 高倉天皇の中宮・安徳天皇の母君
二位の尼 平清盛の妻・安徳天皇の祖母・建礼門院の母
今から800年昔、寿永4年(1185)、日本の国は源氏と平氏の二つに分かれて戦った。最後の決戦の馬になった赤間関(下関市)の沖合、壇ノ浦の戦で敗れた平家の女官、按察使の局が源氏の目を逃れ久留米付近に落ち延び、一門とともに入水された安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊をささやかな祠を建ててお祀りしたのが創です。
さらに天御中主大神(この国を作ったと伝えられる神)を祀り、やがて平家の三方とこの神の四柱を祀るこの祠を水天宮と称されるようになりました。
慶長4年(1600年)有馬豊氏は、家康から筑後川沿岸を領有する久留米藩主を命ぜられました。二代目有馬忠頼は、このあたりの村人たちが厚く水天宮を敬うのを知ると立派な新社殿を建て寄進しました。
この水天宮様は筑後川のほとりにあったので、元来は名のように水を司る神様で水天竜王とも言います。
明治維新により藩邸が接収され有馬邸が青山に移るととともに青山へ、更に明治5年現在の日本橋蛎殻町にご鎮座いたしました。