文京区白山2

浄土寺(浄土宗)

松平忠直の墓があります。家康の次男結城秀康之嫡男で、越前北庄藩68万石の当主でしたが、本来ならば将軍職を担う血筋であるにもかかわらず、家臣・領民殺害など不行跡が目立ち、1623年(元和9)に改易、配流となりました。

京華学園は白山通りに面しています。

孟子の「天下ノ英才ヲ得テ之ヲ教育ス」に依る「英才教育」を建学の精神として1897年(明治30年)の創立。創立者は磯江潤。

東洋大学

東洋大学は、1887年に井上円了により創設された哲学の専修学校である私立哲学館が前身となって設立された大学で、仏教系では有りませんが、歴史的に仏教教育と関係の深い大学です。

文京区は坂の多いところで、私の子供が小学生の時、区内の坂を調べていました。

一行院 (浄土宗)

安政・大正両度の大地震供養塔が、本堂右の墓域奥に徳本行者の墓があります。木魚と鉦を激しく打ち鳴らす独特の徳本念仏を広め、大奥女中を含め江戸近郊の農村に多くの念仏講を組織しました。

円乗寺

八百屋お七の墓

お七については、井坂西鶴の「好色五人女」など古来いろいろ書かれ語られて異説が多い。お七の生家は、駒込片町(本郷追分)で、かなりの八百屋であった。天和の大火(天和2年)(1682)12月、近くの寺院から出火)で、お七の家が焼けて、菩提寺の円乗寺に避難しました。その避難中、寺の小姓の佐兵衛(または吉三郎)と恋仲になりました。やがて家は再建されてじかに戻りましたが、お七は佐兵衛に会いたい一心で付け火をしました。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年3月29日火あぶりの刑に処せられました。数えで16歳でした。三基の墓石の内中央は寺の住職が供養のために建てました。右側のは寛政年間(1789~1801)岩井半四郎がお七を演じ好評だったので建立しました。左側のは近所の有志が供養で建立しました。

円乗寺はマンション群に囲まれています。

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