黒部立山 4

黒部ダムの放水の虹です。

黒部ダムのコンクリートの打ち込みは基礎岩盤までの掘削が終了した1959年(昭和34年)9月に標高1268メートルの黒部川の川底から開始されました。打ち込みは冬の機関を除く3年余り続けられ1963年(昭和38年)6月に高さ186メートル(標高1454メートル)の黒部ダムが完成しました。

物資を運ぶヘリコプター。

黒部ダム構築用のコンクリートバケット、容積9立方メートル、重さ7トンです。

岩肌は、角度60度以上ありそうです。

間ドントンネル工事。関西電力、熊谷組。

黒部の物語。人・使命・情熱

東洋アルミナム社長、高峰譲吉博士、日本電力初代社長、山岡順太郎。

黒部川の電源開発は大正時代から始まりました。大正6年、高ジアスターゼの発明者として知られる高峰譲吉博士が、アルミ製造の電源を求めて、黒部の水力発電の可能性にいち早く注目し、その後の電源開発の重要な布石になりました。

大正12年には、日本電力によって宇奈月から猫又間の軌道の敷設に着手。昭和2年に最初の発電所「柳河原発電所」の運転開始を皮切りに、黒部川第二、第三発電所と黒部川の電源開発が進められました。

輸送路は、黒部ルート、大町ルート、立山ルートがありました。

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