破砕帯。苦闘の7カ月。80m
大破砕帯突破
くろよん建設で最も困難を極めたのが、ダム地点に膨大な資機材を輸送するための大町トンネルの開通でした。昭和31年夏に着工しましたが、昭和32年5月、トンネル最先端の岩盤が崩れ落ち、大量の土砂と毎秒660ℓもの水がすさまじい勢いで噴出。大量の地下水を伴った軟弱な地層「破砕帯」にぶつかったのです。やがて秋になり、水が枯れ始めたことが工事を後押しし、昭和32年12月2日、7カ月物苦闘の末、ついに破砕帯を突破したのです。
資料館を後にして外に出ると、日差しが強くなっていました。
虹が二重になっています。
立山連峰です。
標高が高いのでおかしの袋がぱんぱんです。
名物、ダムカレーです。
雄山(おやま)3003m、大汝山(おおなんじやま)3015m、富士の折立2999m
ダムレストハウスは、新型コロナ対策で席の間隔をあけてください。
黒部ダムの標高は1454m