トルコ・サントリーニ98

サントリー二島

島内を走るバスの停留所

朝が動き出す

大戦中、占領軍に対するレジスタンス運動を主導した共産主義左派ギリシャ共産党(KKE)に支援されたギリシャ人民解放軍(ELAS)、対立する反共共和主義者のパルチザンギリシャ民族共和同盟(EDES)の三つ巴の戦いとなった

さらにナチスによるロマニオットやセファルディムに対するホロコーストが行われた。

ギリシャ内戦
ギリシャが枢軸国軍から解放され亡命政府が帰還したあと、1944年12月3日に十二月事件(ギリシア語版)が起き、共産主義左派と王党派右派の間で対立が先鋭化すると、1946年にはギリシャ内戦が勃発した

ソ連と隣国ユーゴスラビアに支援された共産勢力が「ギリシャ民主軍(共産主義者民主主義軍)」というゲリラ部隊を組織するが、戦後の財政難に苦しむイギリスに替わってアメリカ合衆国が王党派右派政府の全面的な支援に乗り出したことと(マーシャル・プラン)、1948年以降ユーゴスラビアとソ連が対立し、ギリシャの共産勢力はソ連を支持したため、ユーゴスラビアからの援助が失われ、内戦は1949年に共産主義勢力の敗北によって終結した

戦後
1950年に行われた総選挙の結果、保守連立政権が発足するが政局は安定せず、翌年(1951年)に選挙制度を最大与党に有利に改正して行われた選挙によってようやく政局は安定し

1952年に北大西洋条約機構(NATO)へ加盟、1953年に隣国のユーゴスラビアおよびトルコとの間に三国親善条約と同盟条約が結ばれ、外交的にもようやくの安定をみた

1950年代の後半になると、キプロスをめぐってトルコとの対立が激化するが、ギリシャ自体は順調な経済成長を続け、1951年から1964年の間に国民平均所得はほぼ4倍になった

国王と対立した首相コンスタンディノス・カラマンリスの辞任をきっかけに総選挙が行われ、中道勢力と左派勢力が躍進、一旦は中道連合(EK)を率いるゲオルギオス・パパンドレウが首相に任命されるが、他党との連立を拒んだパパンドレウは再び総選挙を行い、1964年、中道連合(EK)は過半数を獲得した

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