トルコ・サントリーニ97

サントリーニ島

夕焼け

もう少し

完全に日没

1919年 – 1922年にセーヴル条約を押しつけるため、ギリシャ系住民保護を名目にアナトリアに侵攻したが、(希土戦争)ムスタファ・ケマル・パシャが率いるトルコ軍に敗退した

夕食

1924年にクーデターにより共和制のギリシャ第二共和政となるが、1935年には王政(ギリシャ王国、1935年 – 1941年)が復活し、国王ゲオルギオス2世の強権発動によって極右政党党首イオアニス・メタクサスが陸軍大臣に任命されていたが、1936年4月12日に暫定首相デメルジスが死去したことに伴い首相に就任

朝。下弦の月

1936年8月4日にメタクサスがクーデターを起こし八月四日体制(1936年 – 1941年)と呼ばれる独裁体制となった。

第二次世界大戦では枢軸国と敵対し、ナチス・ドイツおよびイタリア、ブルガリアの侵攻にあい(ギリシャ・イタリア戦争)、戦いの最中にメタクサスが病死、王室と政府はイギリスに亡命した

1941年4月のギリシャの戦いに敗れ、ギリシャ本土はドイツ・イタリア・ブルガリアの3国による分割占領状態におかれ、傀儡国家ギリシャ国(1941年 – 1944年)体制になった

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