カリブ海モルトショップ・クルーズ 86

トゥルム遺跡

トゥルムにおける本格的な研究は、シルヴェイナス・モーリーとジョージ・P・ハウによって1913年の海岸の復元作業から始まった。

研究は、1916年から1922年までのカーネギー研究所、地図の作成を行った1924年のサミュエル・ロスロップ、1930年代後期と1940年代初期のミゲル・アンヘル・フェルナンデス、1956年のウィリアム・サンダーズ、そして1970年代とそれ以後のアーサー・G・ミラーらによって続けられた。

サンダーズとミラーによるこれらの調査を通して、トゥルムが西暦1200年頃の後古典期後期以降から栄えていたと確定した。

16世紀前半にスペイン人と接触するまで、トゥルムは繁栄を続けていたが、16世紀末までには完全に放棄されたことがわかった。

建築様式

トゥルムは、ユカタン半島東海岸のマヤ遺跡群特有の建築様式を持つ。

この様式は、基礎部分を取り巻く地面よりも一段高くしたステップによって特徴付けられる。

戸口は狭く、建物が大きい場合には、支えの柱によって分割されている。壁は上方に向けて僅かながらフレア(ラッパ状)に広がる。

部屋には奥の壁に1つか2つほどの小さな窓が備わった祭壇があり、梁と割り石による天井かアーチ状に組まれた屋根で覆われている。

この種の建築様式は、規模は小さいが同じマヤ半島のチチェン・イッツァ遺跡でも見られる。

トゥルムは、急な海食崖を背にする一方で、陸側の3面を平均でおよそ3~5メートルの高さの壁で囲い守りを固めていた。

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