カリブ海モルトショップ・クルーズ 88

フレスコ画の宮殿の壁画は、ミシュテカ・プエブラ様式と呼ばれるメキシコ高地に始まったスタイルに似ており、東壁に残されているが、今現在、訪問客は宮殿内部に入る事が許されていない。

中央エリアの海側の奥には、ひときわ目立つ高さ7.5メートルの中央神殿がある。建設は段階的に行われたようで、列柱と梁とモルタル屋根を有していた以前そこにあった別の建物の上に建てられた。

上階の部屋のまぐさ石にはヘビのモチーフが刻まれている。

小さな神殿は、沖からくるカヌーのための誘導灯として使われていたと考えられ、神殿内部のかがり火から漏れた光は、洋上にあるサンゴ礁の浅瀬の切れ目を指し示し、神殿の崖下に万全な入り江と荷揚げ浜と崖への登り口を設け、荷を積んだカヌーを導き入れた。

トゥルムが後古典期後期の間に突出した貿易港になったのも、マヤ人がこの地に都市を建設した理由の一つであっただろう

貿易

メキシコ中部から中央アメリカに至る地域で接触のあった他拠点や見つかった遺物の数により、沿岸と内陸の両交通がトゥルムに収束しているのが明らかになった。

メキシコの高地から運び込まれた銅製の遺物や、ユカタン中からの火打石、陶器、香炉、金細工が、遺跡の近くで発見されている。

塩と織物などいくつかの商品は、海路でトゥルムに持ち込まれ、そこから内陸に分散していったと考えられる。

代表的な輸出品には、内陸の生産地からきた羽と銅製品があった。

これらの商品は、カヌーを用いグアテマラの高地に源を発しホンジュラス湾に注ぐモタグァ川や同じグアテマラの高地から始まりメキシコ湾に流出するウスマシンタ川・パシオン川水系などで内陸の高地と低地双方を結び、輸送することができた。

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