ムトの神域は非常に古く、地と創造の神に捧げられたが、いまだ復元されていない。

また、いくつかの小神殿や聖域が、アメン大神殿複合体やムトの神域などに付随してある。

複合体の建造は、中王国時代(紀元前2055-1650年頃)のセンウセルト1世(紀元前1965-1920年頃)の統治中には始まり、残存する新王国時代からの建造物のほとんどがプトレマイオス朝(紀元前332-32年)の時代からローマ支配時代(紀元前30-後395年)まで継続された。

カルナック神殿複合体は古代エジプトにおいてイペト=スゥト(イペト=イスゥト、Ipet-sut、Ipet-isut「諸々のなかで選り抜きの場所」)であり、アメン神をその頂点とする新王国時代のテーベ三柱神崇拝の中心地であった。

カルナック複合体の歴史は、大部分がテーベおよび文化における役割の歴史である。

宗教的な中心地は、地域とさまざまな時代に変わった首都の設立により変化した。

都市テーベは、中王国時代となる第11王朝(紀元前2055-1985年頃)より首都になる以前には、特に重要性があったようには見えず、また、当地のそれ以前の神殿建築は比較的小さく、祠堂はテーベの初期の神々である地母神ムトや軍神モンチュに捧げられていた。

それらの初期の建造物は侵略者により破壊された。

第11王朝において国家神はモンチュとされたが、神殿域で発見された最古の遺物に、第11王朝による小さな八柱神のものがあり、アメンについて記されている。

第1中間期(紀元前2181-2055年頃)よりテーベで認められるようになったアメンは長くテーベの地方神であったが、第12王朝(紀元前1985-1795年頃)の時代に王朝の守護神としてモンチュに代わり国家神となった。

アメンは雄羊や鵞鳥(がちょう)と同一視された。

アメンの名は隠すという動詞の imen に由来し、エジプト語の意味は、「隠された者」あるいは「隠された神」であり、アメンの称号に「その姿、神秘なる者」ともある。

