サントリーニ島
東ローマ帝国を「ギリシャ化したローマ帝国」と捉える研究者もいる(ギリシャでは自らを「ローマ人」と呼ぶことがあるという)
ただ、東ローマ帝国の中心地はアナトリア・トラキア・マケドニアであり、現在のギリシャにあたる部分は、スラブ人の侵入と移住、アラブ勢力の来襲やブルガリア帝国やノルマン王国といった外部勢力の攻撃が相次ぎ、帝都コンスタンティノープルからは辺境地域とみなされていた
1204年に第4回十字軍によってコンスタンティノープルが占領されて東ローマ帝国は崩壊し、ギリシャにも十字軍が侵入してきた
12世紀末のコムネノス王朝末期以降、東ローマ帝国は内部崩壊を起こして国政が混乱していたため、ヨーロッパ側に住むギリシャ人の多くは混乱を収め、安定をもたらすものとして十字軍を歓迎した
このため、アテネ公国などの多くの十字軍国家が成立した(十字軍に抵抗したのは裕福なコリントスのみ)
ほかには東ローマの亡命政権であるエピロス専制侯国や、ブルガリア帝国、セルビア王国、また都市国家ヴェネツィアなどが割拠するようになった
アナトリアに逃れたギリシャ系の東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国により1261年に東ローマ帝国は再建されたが、以前より力が弱体化していたためにギリシャ全土を奪回できず、諸勢力の割拠状態が続き、その隙をついてギリシアやアナトリアでは14世紀以降イスラム王朝のオスマン帝国が勢力を伸張させていった
1453年のコンスタンティノープル陥落によって東ローマ帝国はオスマン帝国によって滅ぼされ、残る諸勢力も15世紀末までにはほとんどがオスマン帝国に征服された
オスマン帝国はコンスタンティノープルに遷都し、369年間のオスマン帝国による統治が続いた