トルコ・サントリーニ96

サントリーニ島

東ローマ帝国滅亡後も、イオニア諸島は1797年までヴェネツィア共和国の領土であり、その後も1800年にイオニア七島連邦国、1815年にイオニア諸島合衆国が成立している

そのほかにも、1669年までのクレタ島、1686年から1715年までのペロポネソス半島もヴェネツィア領であった

1821年にオデッセイにおいて創設された秘密組織フィリキ・エテリアを中心として、オスマン帝国に対する反乱が企てられた

3月にギリシャ各地の都市で蜂起が起こり、ギリシャ独立戦争が始まった

エジプトの助けを得てこれを鎮圧しようとしたオスマン帝国に対し、英・仏・露が介入、1829年、アドリアノープル条約によってギリシャ独立が承認された

1832年、バイエルン王国の王子オットーをオソン1世として国王に据えギリシャ王国として独立し、コンスタンティノープル陥落以来379年ぶり、古代ギリシャ滅亡から考えると約1900年ぶりにギリシャ人の国家が復活した

その後は汎ギリシャ主義(メガリ・イデア)を標榜し、1897年にはトルコに侵攻(希土戦争)し敗北するも、第一次世界大戦直前の1912年から1913年にはバルカン戦争で勝利し、クレタ島をトルコから奪取した

1919年のパリ講和会議では日本の提出した人種差別撤廃案に賛成するなど反人種差別を表明した