サントリーニ島
古代ギリシア時代、ペルシャの傭兵となったギリシャ人がいたが、彼らは裏切り者として奴隷にされた
アレクサンドロス3世大王死後、マケドニアを支配したアンティゴノス朝と対抗
大王死後、マケドニアを支配したアンティゴノス朝と対抗。この時期にピュロス(エペイロス王)らが活躍した
やがてアカイア同盟を結成して共和政ローマと手を結ぶ
マケドニアの没落後はローマと対決したが、紀元前146年にローマ軍に敗北、コリントスの破壊とともにローマ属州アカエアとされた
古代ギリシアは民主主義の原点であった
395年にローマ帝国が東西に分裂したあとは、ギリシャ地域は東ローマ帝国に属した
7世紀以降の東ローマ帝国はギリシア語を公用語とし、皇帝をはじめとする支配階層もギリシア語を母語とする民族が中心となっていったが、彼ら自身は自分をギリシャ人とみなさず、「ローマ人(ロマイオイ/ロメイ中世・現代ギリシア語)」と称した
東ローマ帝国はギリシャ民族の歴史の一部と捉えられてい