江東新橋は昭和36年に開通しました。今見ると、どうということのない橋ですが、当時は、未来的な建造物に思われました。
蔵前橋通り(くらまえばしどおり)は、東京都文京区のサッカーミュージアム入口交差点から、千代田区、台東区、墨田区、江東区、葛飾区を経由し、江戸川区の市川橋手前の国道14号(千葉街道)との交差点にわたる道路の通称です。
弁護士、正木ひろしは1896年(明治29年)9月29日、東京本所に生まれました。1923年(大正12年)に東京大学法学部を卒業し、中学の英語、美術の教師、雑誌記者を経て弁護士を開業しました。反権力、正義の弁護士として、多くの冤罪事件を手掛け、日本のペリー・メイスンと言われました。主な事件は、チャタレー裁判、菅生、首なし、丸正事件などで、八海事件は「真昼の暗黒」の題名で映画化されました。
戦時中は月刊誌「近きより」を個人で発行し、反戦、反軍国主義の論陣をはり、多くの著書も残しました。熱烈な無教会派のキリスト教徒で、美術を愛し、画家になることが「生来」の夢だった。1975年(昭和50年没)79歳。当時は正木家の菩提寺だった。墓碑の「正木ひろし」は直筆です。
正木ひろしは、府立三中(現在の都立両国高校)卒で、両国高校の倫理社会の教材として扱われ、小平先生が、「皆さんも『正木ひろし』先輩のような立派な人になりなさい。」と教えられました。その講義は昭和46年だったので、正木ひろしはまだご存命だったのです。