高輪泉岳寺3

泉岳寺の澤木興道老師像

仏法の究極である座禅をもって生涯を貫いた、二十世紀に最も活躍した禅僧の一人です。

松山泉岳寺は、慶長17年(1612)、徳川家康が幼年、みを寄せた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田の地に創建し、門庵宗関和尚(1546~1621)を迎えて開山となしました。宋関和尚は永平寺の道元禅師によって開かれた曹洞宗の第4代瑩山禅師開創の総持寺の門派です。大平山大中寺(栃木県)の十一世建室宗寅和尚(義元の実弟)の高弟であり、今川義元の孫と言われる人物で、度々登城を請われ、訪問を聴取されたと伝えられています。当時の萬松山は松平の松より、「松萬代に栄ゆる」の意から、寺号泉岳寺は、徳川に因み、「源の泉、海岳に溢るる」の意からつけられたと旧梵鐘の銘に記されています。

墓所は一番高いところにあるので、坂道を登ります。

その途中にお布施の寄進者の名前が記してあります。東映株式会社、東宝株式会社などは、忠臣蔵の映画で儲けた映画会社なのでしょう。

巨人軍長嶋茂雄の名前もあります。

浅野長矩及び赤穂義士墓所門

切妻造、本瓦葺、一間一戸棟門で、元は赤穂藩浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門として建築されたものです。大石良雄が屋敷を訪れる際によく出入りした門といわれ、明治初年に取り払われる際に、この場所に移築されました。大名屋敷の江戸藩邸門の様式を残す遺構として貴重です。

お線香は、日本香堂

お墓の配置図です。

大石内蔵助良雄、大石主税、浅野長矩、長矩夫人の墓などです。

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