高輪泉岳寺5

高輪泉岳寺5

首洗い井戸

義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから『首洗い井戸』と呼ばれています。

血染の梅

血染の石

浅野内匠頭が、田村右京大夫邸の庭先で切腹した際、その血がかかったと伝えられている梅と石です。

揺池梅

義士の墓守をしていた堀部妙海法尼が揺泉院から賜った鉢植えの梅を移植したものと伝えられています。

1885年4月 – 京都西本願寺により普通教校創立

1906年4月 – 第一仏教中学を高輪中学と改称。仏教との関係から離れる。

幸福の科学

東京正心館

泉岳寺から上り坂に入り、頂上で魚籃坂に繋がる。江戸時代には、この坂から江戸湾が一望に見渡せました。付近には高輪皇族邸(旧高松宮邸)があります。

明国人伊皿子(いんべいす)が、住んでいたと伝えられますが、他に大仏(おさらぎ)のなまりともいい、あらふ(意味不明)の変化とも言われています。

高輪皇族邸そばのだんご屋です。

高輪皇族邸

平成天皇、皇后が住まわれる予定です。

大正時代に東宮御所が置かれ、戦前は「高輪御殿」と通称されました。1931年(昭和6年)から2004年(平成16年)まで高松宮宣仁親王(1987年薨去)と宣仁親王妃喜久子の住まいでした。

 

太平洋戦争の空襲被害には遭わなかったのですが、広大な敷地は戦後、財産税物納のため半分に縮小され、払い下げられた場所には港区立高松中学校や都営高輪一丁目アパートなどが建てられました。

少しずつ工事が行われているようです。

2019年(平成31年)4月30日に第125代天皇明仁が譲位し上皇となる事に伴い、仙洞御所(従来の東宮御所を新天皇の赤坂御所として使用した後に、改修の上で改められる予定)が整備されるまでの間、仙洞御所の假寓「仙洞仮御所」として、当地が使用されるよていです。

左が皇族邸、右側が港区立高松中学校です。

端まで歩いてきました。

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