品川区水辺千本桜
品川区内の水辺空間の魅力アップや賑わい創出の資産である桜を2020年までに1000本に増やす「品川区千本桜計画」の趣旨に賛同し、ご寄付を受けた人のメッセージが記載された記念プレートを紹介しています。寄付は桜の整備に使わせてもらっています。
品川橋
品川橋は、旧東海道の北品川宿と南品川宿の境を流れる目黒川に架けられ、江戸時代には境橋とも呼ばれていたようです。また、別に行合橋、中の橋とも呼ばれていたようです。最初は木の橋でしたが、その後石橋になり、そしてコンクリート橋から現在の鋼橋へと時代の移り変わりともに、その姿を川面に映してきました。
東海道品川宿
この狭い道が、あの有名な東海道です。
東海道 品川宿
これより南 南品川宿
日本橋から東海道を登り、目黒川を渡ると南品川宿に入ります。この高札の場所は、脇本陣跡(現在の城南信用金庫)で、百足屋(広瀬)治兵衛が営んでいました。品川宿を南北に分けていた目黒川は、大正時代末ごろまでに大きく蛇行し、荏原神社の北側を流れていました。
東海道から神社への道を天王横丁と言い、今の鳥居の向きから往時が推定できます。
東海道を南に進み、先に見える信号の左角が継立業務(つぎたてぎょうむ:宿場のもっとも重要な役割で、幕府公用の旅人の荷物を次の宿場まで送り届ける業務)を行う宿場の役所問屋場跡(現在、製菓実験社)で、損五、同じ建物内に人馬の荷の重さを検査する貫目改所(かんめあたらめしょ)も設けられました。