目黒競馬場跡
明治40年(1907)政府の馬質改良奨励により、この地に目黒競馬場が開設されました。それ以降、昭和8年(1933)府中市に移転するまで、明治、大正、昭和の三代を通して、ここで競馬が開催されました。
また、目黒競馬場は、昭和7年(1932)第1回日本ダービーが開催された記念すべき地でもあります。
馬喰坂上の庚申塔群
60日毎に巡って来る行進の日に当番の家に集まって青面金剛を祀り、長寿や豊作を祈って飲食をともにしながら夜を明かすという、庚申待ちが江戸時代の農村では盛んにおこなわれていました。庚申待ちを3年18回終えた時に建てられたのが庚申塔です。
長泉院
浄土宗の律院として宝暦11(1761)年に増上寺45世の大玄和尚を開山として建てられました。
名前の由来は「山間より清泉湧出して、境内をめぐり長るるゆえに、長泉の号あり」と「江戸名所図会」にあります。
現在、境内には、江戸時代後期の儒者松崎慊堂の墓などがあります。
田道庚申塔群
この前の道は、麻布・青山と目黒不動を結ぶ古くからある道で、その道の脇に庚申塔6基と、地蔵尊を刻んだ念仏供養塔1基が並んでいる。
庚申塔群の正面には、近代的な目黒区民センターがあります。この新旧のアンバランスな感じが、現代の東京の象徴です。
権之助坂を登って目黒駅に向かいます。
元禄(1688~1704)の頃、中目黒村田道の名主であった菅沼が、行人坂が急で人々が上り下りするのに苦労したため、幕府の許可なく新坂(現在の権之助坂)を開いたところつみに問われ処刑されました。
バス停の権之助坂です。
日出学園 目黒日本大学中学校、高等学校、幼稚園です。