おはま井戸
氷川神社発祥の地
氷川神社の由来
古老口碑に御花園天皇之長禄元年に渋川義鏡が足利成氏との戦いに向かう途中、此処石神井川の急流に出会う。淀む処に泉 こんこんとして湧き出ずる。
水際の井戸即ち御浜井戸と称す。しばらく兵士を休めてその傍らに、祠を立てて須佐之男尊を祀り9月5日武運長久を祈る。この流水を水田に用い一帯を良田となす。近郷の農家の崇敬の的となり親しまれた後、海老名左近住するに及び観世音を安置せる観音山、即ち今後に遷さる。霊験あらたか、五十一字の総鎮守となる。
早宮史跡公園
東早淵遺跡
早宮史跡公園の周辺一帯は、旧石器時代(約3万年前)から平安時代(9世紀ごろ)にかけての遺跡が所在しています。旧下練馬村の小字名「早淵」に因んで「東早淵遺跡」と呼んでいます。
東早淵遺跡の川向うには、旧石器時代から縄文時代の遺跡である高稲荷遺跡が所在しており、日当たりが良く、水を得やすい場所で原始・古代の人々が生活をしていたことが分かります。
旧石器時代の石器製作跡や石蒸し調理をした後と考えられている礫群、縄文時代早期の土坑、弥生時代後期の竪穴住居跡などが見つかり、各時代の土器や石器が出土しました。また、区内で初となる弥生時代の方形周溝墓が発見されました。