練馬区立北町小学校の一角には、徳川綱吉が鷹狩に訪れ、鷹狩御殿を立てたと言われています。
徳川綱吉御殿後の碑
この付近一帯はかつて「御殿」と呼ばれた土地であった。後に江戸幕府第5代将軍となる徳川綱吉が寛文年間(17世紀後半)にこの地を鷹場とし、宿泊所として「鷹場御殿」を立てたことに由来する。
江古田駅
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江古田の庚申塚
平安時代の初めに、人間の豊かで長生きをしたい、その気持ちが庚申信仰になった。
人間の体の中の三尸(さんし)の虫が、庚申の夜、寝ている間に天に昇り、天帝に告げ口をして寿命を奪われないようにするために、庚申に日に、みんなで夜通し楽しく過ごして、三尸の虫に焦点の機会を与えないようにする。子の庚申塚は1765年の明和2年10月18日に建立されました。
現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰です。
庚申(かのえさる、こうしん)とは、干支(かんし、えと)、すなわち十干・十二支の60通りある組み合わせのうちの一つです。庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされました。