下練馬宿 しもねりまじゅく
下練馬宿は江戸側から下宿 ・中宿 ・上宿の3宿で構成され、本陣、脇本陣、問屋場がそろった宿場です。この街道を参勤交代で利用する大名は川越藩だけでしたが。 鷹狩りに行く大名や 大山詣 ・秩父巡礼の旅人などで結構賑わっていました。 残念ながら本陣・脇本陣の跡地はビルが建てられたりして往時を示す遺構や表示の類は何もありません。
徳川綱吉公が若かったころ、脚気症を患い、下練馬村に御殿(元北町)を建てて療養しました、尾張から大根の種子を取り寄せ、土地の百姓である金兵衛に字桜台(現北町4丁目)の地に栽培させ、長さ4尺(120㎝)ほどの大根が獲れ、それを食べて病が治ったそうです。
その後、将軍になっても献上させ、諸大名にふるまったことから、全国的に有名になりました。
旧川越街道の商店街の辺りは、江戸時代に下練馬宿がありました。川越街道は、江戸日本橋と川越の間およそ43㎞をつなぎ、板橋宿で中山道と別れました。下練馬宿に暮らす人で名字を名乗れる人は少なく、商家や職人などは家ごとに「屋号」を付けて呼び合っていました。
水戸街道、成田街道、日光街道、中山道、川越街道、下練馬街道があります。川越街道と大山堂は下練馬宿で分かれています。