大谿山 豪徳寺(曹洞宗)
寛永10年(1633年)に、ここ世田谷が彦根藩の所領地となり、既にそこにあった文明12年(1480年)に建立された「弘徳院」を、彦根藩主井伊家は江戸菩提寺と定めました。その後、万治2年(1659年)2代藩主井伊直孝之法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因み豪徳寺と改称され、大名家墓所に相応しい伽藍を整え現在に至る。
それは、江戸時代の大名墓所の形態を良く保存し、江戸周辺では最大規模の国指定史跡となっています。そこには、仏殿、灯籠、鐘楼は創建当時のもので、広大な敷地内に法堂、開祖堂、書院、招福殿、三重塔、地蔵堂、種月園(枯山水)や井伊家歴代の墓があって、世田谷を代表する古刹でもあります。
また、この寺には、2代藩主井伊直孝が鷹狩の折、住職の愛猫「たま」の招きで、落雷を逃れたという伝説があって、豪徳寺の「招き猫」は幸運を招くとされ、家内安全、商売繁盛、心願成就を願う招福殿への参詣者が多い。
なお、豪徳寺の境内(1万5千坪、約5万㎡)には四季折々の草木があり、梅・桜・牡丹・ツツジ・アジサイや晩秋の紅葉などが楽しめる。そして石門から山門に至る参道の松並木、更に野鳥が飛び交う奥深い森林もまた見所です。