学習院池袋6

雑司ヶ谷鬼子母神

雑司ヶ谷の鬼子母神は、永禄4年(1561)に制度(現在の文京区目白台)で掘り出された鬼子母神像を、天翔6年(1578)に現在の場所に堂を建てて安置したことに始まります。寛永2年(1625)には社殿の造営が始まり、正保3年((1646)には宮殿が寄進されました。江戸時代前期から将軍の御成りがあるなど、武家から庶民まで、子育て・安産の神として広く信仰され、現在でも多くの参詣者が訪れています。

現在の鬼子母神堂は、手前から「拝殿」・「相の間」・「本殿」の三つの建物で構成される「権現造り」です。本田の開堂供養は寛文6年(1666)に行われたことが記録にありますが、屋根裏の束に書かれた墨書から、寛文4年に上棟されたことが判明しています。

拝殿と相の間は元禄13年(1700)に建てられました。広島藩2代目藩主浅野光晟の正室満姫の寄進により建てられ、その建築には広島から呼び寄せた大工が従事しています。そのため、本田の三方の妻を飾る梁や組物の彫刻には広島地方の寺社に用いられている建築様式が見られます。拝殿は、江戸時代中期の華やかな建物ではあるものの、装飾を簡素なものに変えるなど、幕府による建築制限令への対応をうかがわせる特徴が見られます。

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