板橋宿4

板橋の地名の由来は古く、平安時代までさかのぼると言われています。丸太や土の橋が一般的であった時代に、当時としては珍しい「板」の橋が架かっていたのが、事の起こりだそうです。そしていつしか人づてに知れ渡り、街道の目安になりました。

文献上は、古くは、「源平盛衰記」や「義経記」などにも登場しています。

遍照寺(真言宗)

江戸時代は区内唯一の天台宗寺院でしたが、1871(明治4年)には一時廃寺となり、1947(昭和22)年、真言宗寺院として再興された。境内は江戸時代には馬つなぎ場が置かれていた。宿場の馬つなぎ場とは、幕命により一定数の馬を常に用意しておき、公用に供していたところです。今はその面影がありませんが、境内の1798)(寛政10)年建立の馬頭観音像に、その名残があります。また道内にある町絵師柴左一が描いた遊女道中扁額は、明治初期の廓風俗を知る貴重な文化財です。」

板橋町役場跡地

明治二十二年(1889)、明治政府は、憲法の制定および国会開設に先立って、本格的な地方自治制度を定めた「市制・町村制」を制定しました。

これに伴い、江戸時代の旧町村を大まかな単位とする大規模な町村合併が行われ、現在の板橋区域には板橋町・上板橋村、志村・赤塚村の一町三村が誕生しました。

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