ウドノスビーチ
ウドノスビーチは、茶花から歩いて行けるヨロン島の中で有名なビーチ
ムラサメモンガラ
伝承時代、女神アマミクと男神シニグクが島に瀬礁に辿り着いたところ、島が浮き上がり与論島が造られたと言う神話がある。
古来より島はユルヌまたはユンヌと呼ばれていたが、琉球や大和(薩摩藩)により漢字が当てはめられ「与論」となった。
地理的にも琉球(沖縄)と近いため関係は深く、支配層代官の設置や行政区分の歴史的には奄美群島に属するが、島民の意識としては琉球(沖縄)寄りであり、大島(奄美大島)等とは差異がある。
古く1266年には琉球の英祖王統初代英祖王に朝貢したとされる
。沖永良部島(当時は永良部島)と共に、14世紀には沖縄本島北部の北山王国の勢力下に入る
この時、北山王の王子、王舅(おうしゅん、オーシャン)が世之主として与論城を築き、君臨していたと伝わる