トルコ・サントリーニ 52

トプカプ宮殿

内廷には君主の私室(ハス・オダ)や、現在は有名な「トプカプの短剣」が展示されている宝物庫がある。

トプカプ宮殿の聖遺物(アーサール :イスラム教の聖遺物)は質量ともに有名で、特にイスラム帝国アッバース朝のカリフ権の象徴であった「ムハンマドのマント」と、実際に戦争に使われたという「ムハンマドの軍旗」が知られる。

多くのスルタンは、戦場に赴く際には、このマントと軍旗を必ず身に着けていたという

内廷では、数百人のイチ・オーランと呼ばれる君主の小姓たちが、私室や財宝庫などの管理役を勤め、君主に奉仕した。

小姓たちはここで幹部候補生として高度な教育を受けて、外廷の職や軍の将校などの要職に就けられ、また内廷で私室長や太刀持ち役などの皇帝側近の重職に出世すれば、地方総督職などを経て、将来的には宰相にまで出世することが可能な制度が確立されていた。

小姓の供給源もイェニチェリと同じく、古くはデヴシルメによっており、カプクルのエリートコースであった。

後宮(ハレム)の入り口は、外廷の「ドームの間」の側にある「車の門」と内廷の皇帝の私室の脇にある「クシュハーネ門」があり、現代にハレムを見学する場合は、前者からハレムに入る(ただし、この他に宮廷の外とハレムを直接繋ぐ通用門もある)。

ハレムは君主の母后、妃、子供たちと、それに仕える多くの女官や宦官が暮らしており、後には帝位に就いていない皇族である君主の弟や甥たちが暮らす「鳥かご」(カフェス)と呼ばれる部屋も設けられた。

全体図

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