トルコ・サントリーニ73

トプカプ宮殿

1608年を頂点に、ジェラーリーの反乱(英語版)は収束を迎えるが、その後、首都イスタンブールでは、スルタン継承の抗争が頻発することとなった

そのような情勢の下、1645年に起こったヴェネツィア共和国とのクレタ戦争では勝利したものの、1656年のダルダネスの戦いではヴェネツィア艦隊による海上封鎖を受け、物流が滞り物価が高騰した首都は暴動と反乱の危険にさらされることになった

この危機に際して大宰相に抜擢されたキョプリュリュ・メフメト・パシャは全権を掌握して事態を収拾したが4年で急逝

しかし息子キョプリュリュ・アフメト・パシャが続いて大宰相となり、父の政策を継いで国勢の立て直しに尽力した

2代続いたキョプリュリュ家の政権は、当時オスマン帝国で成熟を迎えていた官僚機構を掌握、安定政権を築き上げることに成功する

先述したオスマン帝国の構造転換はキョプリュリュ期に安定し、一応の完成をみた

キョプリュリュ家の執政期にオスマン帝国はクレタ島やウクライナにまで領土を拡大、さらにはヴェネツィアが失ったクレタ島の代わりに得たギリシャにおける各地域の大部分を手中に収めたため、スレイマン時代に勝る最大版図を達成したのである

しかしキョプリュリュ・メフメト・パシャの婿カラ・ムスタファ・パシャは、功名心から1683年に第二次ウィーン包囲を強行してしまう

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